登記官からみた「真正な登記名義の回復」・「錯誤」―誤用されやすい登記原因―
登記官からみた「真正な登記名義の回復」・「錯誤」―誤用されやすい登記原因―
- 作者: 青木登
- 出版社/メーカー: 新日本法規出版
- 発売日: 2013/01/16
- メディア: 単行本
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詳しく書こうとは思いませんが、「真正な登記名義の回復」と言う、判例が認めてしまっている登記方法を、如何に制限的に運用すべきか、と言うような趣旨を感じるような書籍でした。(これが法務省側サイドの考え方と言うことでしょうか? そう言う意味では、この原因を考えた司法書士にとっては必読の書です。買いましょう。)
しかし、私の読み方が悪いのか「そのような場合には、この原因を使うべきではなく、訴訟で解決できる。」と言うようなニュアンスが強く感じられる部分があり、折角、現在の当事者間で、穏便に解決できる所まできたような事案に対して道を閉ざすような傾向を感じてしまう所がありました。
こうしたことが強まると、ある意味、中間省略などを恐れるあまり、私権(処分権)を制限してしまうように感じます。
新法施行により登記原因証明情報が必須書面となってから、かなり経過しましたが、ここ数年来、法務省筋から出されてきた書籍を見ると、少しずつニュアンスが変化してきているように思うことがあります。いくつかの書籍を読んでみると、「要件事実の存在を、申請人(特に義務者)の書面で確認する(言わば認諾した内容の報告)」と言う形式審査から、「法務局に対する、一つ一つの実体関係の証明」と言うニュアンスが入ってきたように感じることがあるのです。
真正な登記名義回復が原因として認められた背景には、「民事訴訟の構造からしてそうなった。」と言うだけでなく、抹消して、(あるいは更に抹消して、)前主から移転すべきと言うのは、如何にも酷であると言うことから、当事者の合意でそれを実現できる方法として認められたと言う意味もあったように思います。それも私権の行使の一つのあり方と考えれば、言わば、真正な登記名義の回復は、「和解」の一種ではないかと思うのです。
当事者間でなんとか、平穏に解決できる問題を、「正確な履歴を残すために」と言う理由だけで、「訴訟すべき」とすることは、なかなか国民の理解を得がたいことのように思われます。
これも、公信力のない日本の登記制度の下においては、中間省略登記排除のために必要だと言う考え方も理解はできますが、
しかし、それは例えば、登記原因の記載を工夫する(真実の原因を付加させる方法など。)により、解決できないものでしょうか?
そうすることは、むしろ、かつてあったとされる脱法的に利用を防ぐことにもなると思うのですが・・・・